学力低下と二極化問題について

近年の学力低下は、『ゆとり教育』の影響もありますが、良い会社に勤めても倒産する可能性があること、日本での終身雇用性が実質的に崩壊してきていることが大きな要因だと考えます。

勉強ができる=良い会社に勤めて安定した生活、と図式に価値が見いだされなくなった現在、教育に対する価値感が多様化しています。勉強ができるということは、世の中の尺度の一つでしかなく、親も子供に対して過度な期待をしなくなりました。それはそれで、子供にとっては幸せなことかもしれません。

反面、今の日本で学問を学ぶ楽しさやその機会を与えられていない子供がいるという悲しい現実があります。子供に過度の期待をしないこと自体は良いのですが、「どうせ自分の子供だから勉強はできないだろうし。。。」という言葉を耳にすることがあります。子供たちの可能性は無限です。大人が限界を決めるものではありません。

教育現場での学力の二極化が叫ばれて久しいですが、テストで集計をした時の得点分布が2コブラクダの背中の様に2つの山を形成します。1つの山は、『勉強に価値を見出さない親の子供たち』が形成するグループ。もう一つの山は、『学ぶことの大切さを知っている親の子供たち』の形成するグループです。

統計的な分布と言うものは、本来同じ物差しの中ではいわゆる『正規分布』と言って、一つの山の形に集約されます。山が2つになるということは、価値観の異なる集団が混じっているということに他なりません。ですから、平均点と言うものも、あまり意味のない数字になります。さらにこのような分布においては、高得点をとっても偏差値が低めに出ます。それどころか、偏差値の統計的な役割が果たせなくなる可能性さえあります。なぜならば、偏差値と言うのは、『学生全体の得点分布が1つの正規分布に集約されていることを前提として』考案された統計手法だからです。詳しくは、『偏差値の正体について』ということで、また別の機会に触れたいと思います。

私は、教育によって得られる鋭い洞察力や磨かれた感性は、きっと生き抜く力の原動力になると考えます。しかしながら、教育の現場では、鋭い洞察力や磨かれ感性を養う訓練や導きがなされているかは甚だ疑問です。

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